はじめの一歩8月号(通算第161号 )
『思い出と感謝と後悔と』
須﨑 満喜子
とうとうこの日が来たかと、初めのうちは経験者に聞いたり自分で調べたりと試行錯誤をしながら頑張っていた。一年が過ぎ二年が経ち新しい年がくるたびに、先の見えない介護をだんだんと重荷に感じるようになっていった。何をするにも親の介護のことが頭の隅から離れない。正直、投げ出したくなることも多々あった。ある時〝今”できることだけをやればいい!と自分にそう言い聞かせて割り切ってみようと思うことにした。しかし現実には気持ちの切り替えができる時とそうもできない時がある。どんなに疲れていてもやらねばならぬ義務感みたいなものに縛られたり、まわりに振り回されたりとなかなか自分の思うようにはいかない。ろくに口も利かず黙々とこなして実家を行き来する日々。もう、無理・・と感じ始めた私の気持ちを察するかのように母は突然旅立ってしまった。
「父在らざれば生りがたし 母在らざればそだたれず 母の五体に寄托して 懐妊実に十月なり その難渋や思うべし・・其のみどり児のなく声を 喜怒哀楽にききわけて・・暑さ寒さや飢えかわき 骨身をけずる親心 たまたま家をはなるれば 心ひかれてむねさわぎ 我家をさして走せかえる 乳児は遥かにそれとみて 頭ゆるがし腹を引き 母のもとべによりすがる 母はそぞろにとり乱し 双手をのべて抱き上げ 我にかえりて気もしずむ 互いにかよう情と情 追々育ちて三つ五つ よその施しうくるとも 母は喰わず子にあたう 綾や錦の晴れごろも 所詮叶わぬ事ながら 親はつずれをまとうとも せめて我子に着せばやと 思うは親の情なり 己のよわい忘れても ひたすら子らの年をよむ・・」静かに読経が流れていく。頭の中で共に過ごしてきたあの頃が回想され、一句一句がこの年になって心に響き身に沁みる。母へのたくさんの感謝と、ただ〝居る”だけでいいという存在の大きさに改めて気づく。もっと聞いておけばよかった、もっと喜ぶことをしてあげればよかったと悔やむ。
まもなく秋のお彼岸を迎える。小豆を煮て母の定番の饅頭でも作ってみようか。「小豆は指で潰してみて柔らかくなるまで絶対に混ぜちゃだめ。」とあんこには関心のなかった私に聞こえるようによく言ってたっけ。