活動日記
5月3日(祝) じっくり・じわじわ・何度でも
ゴールデンウィークの真っただ中、小規模校の教育実践が聴けるということで、東京の西、奥多摩から東の八丁堀へ、教育研修会に参加してきました。教育研修会といってもフラットでフランクでフリーな関係の中で教育の在り方を探求する集団の集まりです。「子どもの心に火を灯す『小』規模学校ならではの探究的学習の取り組み」と題して、佐賀県の小学校の先生が講演をしてくださいました。会場は大手事務機器メーカーの開放的な空間をお借りし、お茶をいただきながらのアットホームで有意義な時間でした。
さて、講師の先生からどんなアクティブでセンセーショナルな話しが飛び込んでくるのかと目を皿に、耳をダンボにして臨みましたが、とりたてて新しい教育実践やパフォーマンスが感じられたわけでもありませんでした。では、何が違うのか良く良く考えてみましたが、過疎地で変則の複式授業で児童のやる気を掘り起こすにはどうすれば良いかを日々探求していたとのこと。させられるのではなくしたくなる学びはやはり、体験やその実践から得ることのできる確かな知識、体で覚える知識がいかに重要であるかと説明されました。子どもたちのやる気に、気持ちを同じくして入り込める教師のひたむきな姿とその教育環境を作れる地域や保護者の一体感があってこそ、と感じました。まさしく、じっくり、じわじわ、何度でもの精神です。こうした探究心溢れる指導は学習能力の向上にも充分な結果が表れていました。講師本人はこうした探究する心を育てる授業が学力の向上にもつながっていると意識しつつも、その効果のエッセンスを参加者に教育のヒントとして、教えを乞う謙虚な姿勢、この姿も子どもたちの心に自学の火を灯す原動力であると感じました。お題目を唱えた研究校の実践ももちろん必要なのでしょうが、こうした実践を支える教育環境を作り出すのが急務だと感じました。学校不要論が唱えられ始めた昨今、未来の職業が大きく変わると言われている現代。方程式では解けない問題をこなすたくましい人材を育てる教育が望まれています。
最後に賢人の言葉を添えます。
凡庸な教師はただしゃべる。
良い教師は説明する。
優れた教師は自らやって見せる。
偉大な教師は生徒の心に火を灯す。