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活動日記             

7月5日(金) 被災地フロントラインを訪ねて

 昨日まで東北の被災地岩手県を議会会派「緑水会」のメンバーで視察に行ってまいりました。宮古、大船渡、陸前高田と回ってきました。
 初日は宮古市の田老地区、堤防を越えた津波ですべてが失われてしまった地域です。今回、この研修に同行していただいたガイドの方はここに住んでおりましたが、この津波で家屋を失ってしまいました。写真①、写真②のようにホテルのほとんどが呑み込まれてしまいました。
キャプチャ.JPG①田老地区の被災したホテルの3階でキャプチャ2.JPG②被災した田老地区のホテル。この6階で一命を取り留めた社長は、眼下に迫る津波の一部始終を記録されたという。














 田老地区の沿岸は、今復旧工事が行われていますが、住居は建てられないようです。ホテルの社長さんからお話を伺うことが出来ましたが、想像を絶するようなものでした。このホテルの6階で命を繋ぎ、そして恐ろしい映像も記録されたとのことでした。
 翌日は災害の復興に力を注ぐ施策を伺いました。はじめに宮古商工会議所を訪ねました。商業、建設、工業、水産業、交通観光など各部会から意見集約、アンケートを行い、復興計画を策定しました。金融の特別相談、火災共済の個別相談、仮設商店街への取組、プレミアム商品券の発行、水産業の復旧グル―プ補助金など、あらゆる視点からの活動を展開していました。
 次に訪れた宮古市役所では、再生可能エネルギープロジェクト事業に対する取り組みを中心にお話を伺いました。東日本大震災からの復興に向けて優先的に実施する施策として「森・川・海の再生可能エネルギープロジェクト」を掲げ、再生可能エネルギーの地産地消モデル事業「宮古市版スマートコミュニティー」や電気・熱・水素エネルギーを生産する木質バイオマス施設の整備を中核とした復興モデル事業「宮古市ブルーチャレンジプロジェクト」について、官民一体となって実現に向けて取り組んでいました。マスタープランの作成には自治体はもとよりエネルギー事業者をはじめ大手民間企業もワーキングチームとして、また、アドバイザー、オブザーバーとしても経済産業省や県の復興局、大学教授も加わり、この危機を乗り切る体制の意気込みを感じました。この事業で特徴的だったのは、今後は水素エネルギーが重要なキーワードになるということでした。また、この事業は、震災後に新たに検討されたもので、現場の復旧事業と並行して進めているもので、その実行力には感心させられました。
 昼食は、雨の中、ウミネコの群生を眺めながら浄土ヶ浜で摂りました。今朝のテレビでは、この浄土ヶ浜で9月に勘九郎兄弟を中心とした復興支援のための歌舞伎が披露されることが報道されていました。
 午後は宮古から釜石に移動して、新日鉄住金釜石製鉄所で、復旧への取り組みについてお聞きしました。釜石製鉄所はラグビーに力を入れ、過去には全日本選手権7連覇の偉業も達成しています。今もクラブチームとして活動していますが、この震災でグランドには仮設住宅を設けました。地域の復興にも社員総出の力が向けられました。ここでは「緑のシステム創造事業」と「バイオマス混焼システム」の説明を受けました。ここも各省庁との連携により森林資源の有効活用を目指していました。釜石は鉄の町というイメージがありましたが、奥多摩と同様に、森林が90%以上を占める山の町でした。その意味でもこの事業の取組は今後参考にしていく必要を感じました。この後、釜石を後にして三陸鉄道南リアス線に乗車、大船渡市内の宿に向かいました。未だ復旧していない区間もあり、複雑な想いで車窓から海岸線を眺めました。この路線の一部が復旧して初めて車両が走った時、沿線住民は家を出て車両に手を振り続けたそうです。
 三日目は大船渡港を見た後、陸前高田市に向かいました。宿泊したホテルも被災し、その年の12月に復活オープンしたとのこと、周りは駐車場の後と砂利で舗装された平地ばかりでした。大船渡の駅は跡形もなくホームの一部が見られる程度で、JR線が復活することはないだろうとガイドさんの話でした。
 陸前高田に入ると、辺り一面が未だに復旧途上で一部には瓦礫の山もありました。ボランティアの姿も見られ、頭の下がる思いでした。ここは海から7~8キロ上流まで波が押し寄せた地域です。かなり海から離れたところでも地盤が下がり、未だに水が溜まり田んぼのようなところが随所にありました。奇跡の一本松は、この海岸の素晴らしい松並木がこの震災で奪ってしまった最後の一本です。震災前の写真を拝見しましたが、本当に素晴らしい財産を奪われてしまったと思いました。
 地元のガイドさんの説明では、各沿線に敷かれていたJR線のほとんどが復活されないとのこと。帰宅後にテレビコマーシャルで映っていた「東北へ行こう」のJRキャンペーンがむなしく感じられました。
以下、記録写真を掲載いたします。
キャプチャ3.JPG③宮古市役所にて、災害復興と今後の復興施策について説明を受ける。キャプチャ4.JPG④宮古商工会議所にて、会員の被災と復興についての説明を受ける。


キャプチャ5.JPG⑤三陸鉄道の新しい車両。クゥエ―トの援助で再興された。しかし一部区間は未だに開通されていない。南リアス線を30分ほど乗車した。キャプチャ6.JPG⑥多くの職員が被災した大槌町役場。


キャプチャ7.JPG⑦釜石製鉄所にて、バイオマスエネルギーの工程について説明を受ける。キャプチャ8.JPG⑧給油所の看板の途中まで押し寄せた津波



キャプチャ9.JPG⑨陸前高田の奇跡の一本松、気仙川河口の復旧工事の様子。


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